ねこ的 浅草(?)暮らし

ネコの多い街 江戸文化息衝く街 浅草。飲んだり食べたり猫と戯れたり。。。
100mほど浅草地区から外れたので、ブログ名称若干変えました。
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# 今回の初日の出登山は駒仙でした その2
JUGEMテーマ:山岳

詳細2
12月29日 仙流荘~戸台~北沢峠
5時50分に起床し、朝風呂へ。部屋の時計が10分ほど進んでいたのが朝になってから気付いた。
7時から朝食。時間が分かれていた為、朝も一人。泊まっている人の顔は全く判らないまま。
見た目は少なそうだけど、結構量があった。


8時にチェックアウト。ここから北沢峠までずーっと歩き。
林道バスが無いし、送迎もないから。


仙流荘から出た直後。谷間の遠くに目指す山が見えてる。・・・遠い・・・


仙流荘から1時間20分歩いて、ようやく戸台の登山口。ここで届出を提出。
ここまで来るのに、タクシーを呼べばよかったと後悔した。
ここに着く20分前の橋本山荘へ下る車道で、凍った部分で盛大に転び、骨折した左膝を打ってしまった。
後で山小屋で確認した時、古い手術痕の直上に深めで大きい擦り傷と、膝の皿から内側に打撲の内出血があった。
年明けて下山・正月休み終わり直前でも、未だに治ってない。
戸台から北沢峠の取り付き点まで、河原歩き。川を渡ったり・・・


取り付き点に着く前の、鋸岳へ向かう角兵衛沢の分岐点。戸台からここまで2時間半位。


ここから30分後に丹渓山荘跡に着いて、ようやく北沢峠への取り付き点。
そこから1時間弱で八丁坂を登り、体力を一気に消耗。緩やかなのにスピードが上がらないどころか、息切れと休憩が増えてしまった。
八丁坂の途中までは先行者が見えていたり追いついたりしていたのに、八丁坂以降は全く人に追いつけなくなった。

15時半に大平山荘到着。北沢峠まで残り15分程度のはずだけど、10分休憩して再出発。

16時に北沢峠到着。冬場の行動は15時が基本なのに、1時間オーバー。
しかも、へばってしまった。
農鳥小屋の前だったら、親父さんに説教されるだろう・・・

テン場まで行く時間も読めないし、行動予定時刻はとっくに過ぎているし、へばってしまっているので、予定外の長衛荘に泊まる事にした。
かなり空いているので、寝具無しでも全く問題なく余裕の空間を得られた。
きれいだし、人当たり良すぎるし、いい山小屋でした。


12月30日 北沢峠〜駒仙小屋テン場〜仙水峠〜駒仙小屋テン場

昨夜の時点で予定が変わってしまったので、本日の予定はまずテントから。
テントを張りに行くのが最初なので、7時過ぎに出ればいい。
長衛荘があまりに居心地が良い為、最終日である元日の夜も素泊まりで泊まる事にした。
かなり空いているらしいので、ノンビリできて助かる。
テントの早朝撤収もしないで済む。(これが最大の目的)

7時過ぎに長衛荘を出て、北沢駒仙小屋のテン場に移動。
夏道で両方向でも10分とコースタイムにあるけど、北沢峠から駒仙小屋まではかなりの下り。
北沢峠〜駒仙小屋は下り15分上り20分が目安だと思う。

北沢駒仙小屋前に到着。テントを撤収してどこかへ行くグループがかなり居た。
撤収後の跡地を分捕ると、テントサイト造りがかなり楽。

ここをキャンプ地とする! トイレ間近、長衛さんのレリーフまん前。


幕営後、水の準備をしたり、小屋でコーヒーを飲んだりして、11時頃、足慣らしを兼ねて仙水峠を目指す。
仙水小屋を越えて、しばらく歩くと樹林帯から出た。背後に美しい仙丈ケ岳が見えた。


仙水峠にテン場から1時間ちょっとで到着。甲斐駒・摩利支天がはっきりと。

右手には鳳凰三山の地蔵ヶ岳のオベリスクも確認できた。
振り返ると仙丈ケ岳もくっきり。

ちょっと栗沢山を目指してみようかと思ったけど、風が強いこと、トレースゼロの為オールラッセルを強いられる事、夏道も知らないので、10mも行かないうちに止めた。
ラッセル泥棒に徹したい。

元来た道を戻り、そのまま北沢峠へ。甲斐駒へ道を確認する。

北沢峠からの道は、トレースが全く無かった。仙水峠からがメインなのだろう。
北沢峠からは仙丈ケ岳への道はしっかりとトレースがついていた。

テントに戻ってノンビリしていると、大学山岳部と思われる連中が15時頃戻ってきて、自分のテントの近くで面白い会話をしていた。
「○○の指が栗城です」
「どれくらい栗城?」
「ちょっと色が変わってる位なんですが」
切断詐欺とか大げさとか、話を盛ってるとか、誰かを貶める発言してるとかじゃなくて、栗城を凍傷という意味で使ってるらしい。
他の登山者の間では、栗城って侮辱の意味に使われるけどねぇ。

その日の夜。
寝ていたらあまりの息苦しさに起きた。
寒いので外張りをしっかり閉めていたら、外張りもテント自体も完全凍結して酸欠状態になった。
これ、北アルプス蝶ヶ岳を目指した2年前と同じ状況。
防水透湿素材であろうとも、冬用外張りであろうとも、氷点下であろうとも、通気口を開けて外張りの入り口も軽く開けておく必要があり、内部の入り口も半分近く開けておかないと、酸欠で死ぬことになるのを認識した。
シュラフが暖かいから良いけど、凍死するか酸欠死するかの二択のテントって嫌だなぁ。
他のテントではどうなっているのか知りたい。
| comments(0) | trackbacks(0) | 00:31 | category: 孤高の人(山) |
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